ゆんゆん日誌

よろず・オタク・ブログ

「かわいそうな子ども」がかわいい

久しぶりにちゃんとしたブログを書こうとしている。前回みたいなのもいいけど、ま、せっかくなら長文を書きたいものである。そういう気持ちでEvernoteを開いている。私はブログを書くとき、まずEvernoteに書き一応推敲まで済ませてから、コピペしてアップしている。…別にいらないな、この情報。

なぜちゃんとしたブログを書こうとしたかというと、ラブレターというのを使ってみたところ、「あなたの文章のファンです(大胆な要約)」という投稿を受け取ったからである。我ながらなんて単純なのだろう。ちなみにラブレターとは、Twitterでいま流行りのお題箱や質問箱みたいなサービスの新種である。

まあ一つ言い訳すると、「そろそろ書かなきゃなー」とはもともと考えていて、偶然、よし書くぞ!という決意をした日にその投稿が来たのだ。だから何もなくてもブログを書いてたと思う。前から頭にはあったネタでリハビリしようとしてるし(実は書きかけてボツにした文章が他にいくつかある……)。ただ、モチベは上がるよね、っていう話です。その節は他にも素敵なお言葉をくださりありがとうございました。

さて、本題に入ろう。筆者の推し、姫宮桃李ちゃんのことである。彼は「あんさんぶるスターズ!」(通称:あんスタ)というゲームのキャラクターだ。私は彼のことを、ある意味「かわいそうな」「子ども」だなあと思っている。別に作中で何かかわいそうな目にあっているわけではない。それどころかむしろ、生まれつき裕福な生活を送っているし、家族やその他周囲から愛情を受け、現在進行形ですくすくと育っている。こんな推しを持てて、なんて幸せなオタクだろう!と思うほどだ。しかし逆に、確かに愛情を受けているけれども、かわいそうだなあと感じる面もある。

まず、桃李ちゃんはとても一途だ。あんスタのメインストーリーのみを読んだという人や、桃李ちゃんがメインのイベントをスルーしているという人は、意外に思われるかもしれない。確かにメインストの桃李ちゃんはとても傲慢で、トリスタ(主人公ユニット)に肩入れしながら読んでいると、桃李ちゃんに対して本当に腹が立つ。このチビ、つぶしてやろーか。って感じ。しかし、それは一面的な見方であり、傲慢なだけが彼の本質ではない。そもそも傲慢さだって、その一部は桃李ちゃんの着ている鎧になっているのだ。ただし、育ちゆえに元来ワガママぼっちゃん気質なのは確かなので、推しといえども全面的に擁護することはできない。

桃李ちゃんは一見ただのワガママぼっちゃんに見えるけれど、実は臆病なところもあり、弱気になることも多い。転校生、すなわちプレイヤーには、ぽろりと弱音を吐くこともあるが、たいてい直前までワガママぼっちゃんぶりを遺憾なく発揮している。つまり、傲慢さは一種の自己防衛の手段でもあるといえないだろうか。実際は弱気になっているけれど、弱っているようには見せたくないというね。このように、人が何かしらの自己防衛をはかるとき、その人は不安になっていることが多いと思う。それは桃李ちゃんも例外ではない。

桃李ちゃんのもつ不安は、彼の一途さから起こると筆者は考えている。彼の数々の悩みは、根本的に「大切な人からの期待に応えられなかったら/信頼を損なったらどうしよう」ということに尽きる。この「大切な人」には、ほとんどの場合、天祥院英智が代入されている。天祥院英智は、桃李ちゃんの憧れのアイドルで、桃李ちゃんがアイドルを志すきっかけになった人物である。ということは桃李ちゃんは、憧れのアイドルの期待に応えたいという気持ちが原因で、よく不安を感じているのである。どんだけ憧れてんねんっていう話だよ。まあでも、多かれ少なかれ、これと似た気持ちを抱いた経験のある人はいると思う。だから、桃李ちゃんの不安な気持ちに共感できる人もいるのではないだろうか。そもそも大好きな両親を泣き落としてまで学院に入学し、英智の率いるユニットfine(加入するのが困難)にも入ってしまうのだから、そこからも桃李ちゃんがどれほど一途なのかわかるだろう。

また、「期待を裏切ってしまったら…」という思いとは別ベクトルで、桃李ちゃんは両親に対しても一途である。彼は、自分が両親から愛されていることを知っているので、英智のときとは異なり、信頼関係が揺らぐことを端から想定すらしていないようだ。自分が両親から受け取った愛情を受け止め、素直に慕っている。ゆえに、英智に対するような不安を感じることはない。しかしながら彼の両親は、海外からなかなか帰ってこない。本当は褒めてほしいことがいっぱいあるのに、帰国延期の知らせを聞くたびに、桃李ちゃんは「寂しいけど仕方ないよね」というオトナな態度をとる。この態度は普段のワガママぼっちゃんぶりから遠くかけ離れたものであり、だからこそ桃李ちゃんのけなげさを非常に感じさせる。そして、彼は両親に甘えられる日をまた心待ちにするのである。一途かよ〜〜〜。泣ける。

ここまでつらつら述べてきた通り、桃李ちゃんはどうも一途らしい、ということがわかっていただけたと思う。そんな桃李ちゃんのどこがかわいそうなんだという話になる。実は、筆者自身もよくわかっていない。言語化するのがとても難しいな。誤解を恐れずに言うとたぶん、他人に振り回されているように見えるのだろう。言い換えると、自分がない、ということだ。いや、本当にないわけではない。ただ、自分の行動の動機に他人を置くことが多くあるように見えて、そういうところから自分を持っていないのかな…という印象を受ける。どういうことかというと、桃李ちゃんは意外にも、他人の顔色をうかがうことがしばしばある。「顔色をうかがう」というと偏見があるかもしれない。もしかすると自分の意見が否定されるかもしれないとき、こわごわと「…だめかな?」と上目遣いで聞いてくるのだ。こういうとき、傲慢なわりに臆病な性格が垣間見える。

とはいえ、桃李ちゃんが顔色をうかがう相手は決まっている。それは彼が好意を持っており、嫌われたくない相手だ。英智さま、転校生(プレイヤー)など。それらの相手に対して、桃李ちゃんは持ち前の一途さを発揮することが多い。つまり、一途だからこそ嫌われたくないという気持ちが先行し、相手の顔色をうかがってしまうのだと思う。嫌われたくないと思うことはとても自然な気持ちであるが、しかしそのせいで自分がないように見えるのだろう。彩雲国物語において、旺季は幼少期の劉輝に対して、「自己防衛のために、相手に気に入られようとしてばかりで、自分の意見を持たない空虚な人間だ」というような評価を下している。桃李ちゃんは自己防衛のために好かれようとはしていないし、本質はワガママぼっちゃんなので自分の意見、考えをちゃんと持っているのだけれど、桃李ちゃんはそれでも旺季の抱く劉輝像とどこか似通っている気がしてならない。

桃李ちゃんが嫌われたくないと思うあまり、相手の顔色をうかがってしまう素振りを見せるところに彼の一途さが表れている。でも、「顔色をうかがう」という行為は、自分の行動を相手に委ねることに繋がりかねないと思う。TOKIOの「宙船」の歌詞で例えるなら、「お前のオールをまかせる」ことはやはり危険を伴うんである。その我が身を危うくするかもしれない行為のほうへ、無意識に、あるいは何も考えずに自分を連れて行っている感じが、何も知らない「子ども」という感じだし、「かわいそうだな〜」って思ってしまうのだ。それも一途さ、ひたむきさゆえに、だから。

以上、桃李ちゃんには「かわいそうな子ども」みがあるということを書いてきた。ところで、このエントリーのタイトルは「『かわいそうな子ども』がかわいい」である。いやいや、かわいいか?そう思う人は多いと思う。しかしながら、本当にこればかりは説明しようがない。なんせ桃李ちゃんのことを、脳内物質ドバドバ、心臓バクバクしながら「かわいい!好きだ!」と猛烈に思ったきっかけが、「うわあああん!!」ボイスなのである。え?泣き声だよ。引くわ。けど、私の脳の中で、「桃李ちゃんのかわいそうなところ」と「かわいい」が直で結びついちゃってるんだと思う。そして結びついてしまった理由は解明できない。本能的なものだ。したがって、「なぜ桃李ちゃんが『かわいそうな子ども』だとかわいいと思うのか?」の理由を言語化することはできないのである。でも、桃李ちゃんはかわいそうで、とてもかわいい。

というわけで、偏見たっぷりの桃李ちゃんオタの長文でした。全部妄想だよ。こんなに長くなる予定ではなかった。